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2013年09月10日

久しぶりに本の紹介

こんばんは。

9月の第2週の火曜日はのんびり営業でした。

午前中、午後の早い時間に御予約の御客様を出迎えて、おやつの時間から夕暮れの時間までは久しぶりに読書を堪能。

読みたい本がたくさん手元にあるけれど、いざ読書しよう、と意気込むと何から手を付けてよいものか、迷ったあげく2時間くらいで読破できそうな本を読もう、という事で落ち着き、今し方読み終えた本を紹介します。

本日の一冊。

久しぶりに本の紹介

「世にも美しい日本語入門」
著者 安野 光雅 / 藤原 正彦

数学者、エッセイストの藤原正彦と、その藤原正彦の小学校時代の先生である画家、絵本作家の安野光雅の二人が、日本の古典、文学から日本語の美しさを対談形式で語りあってる本です。

久しぶりに本の紹介をするから文章も拙いし説明も下手になってると思われますが、お許しを。

数学者と画家が日本語の美しさを語る、というのがそもそも不思議で、二人の職業から共通する点が結びつかないなぁ、と帯を見て、前書きを読み始めたのですが、これが意外と合点するのです。

まぁそこは置いといて、前書きで書かれている一節を紹介します。

「よく、近頃の若者の言葉が乱れていると嘆く人々がいる。確かにその通りである。ただ、これは私が若者の頃も言われた言葉である。年長者が若者の乱れた言動を嘆く、というのは古代ローマの文献にもある。」

「由々しき問題は、若者が美しい日本語、すなわち文学を読まなくなったことである。」

「祖国に対する誇りや自信も身につかない。祖国がいかに経済的繁栄を続けても、いかに強力な軍隊を持っても、深い誇りとか自信はそこから生まれはしない。」

「深い誇りや自信は、祖国の生んだ文化や伝統、すなわち普遍的価値から生まれる。」

前書きを読んだだけでなるほど、と納得せざるを得ません。

既に失われた、あるいは失われつつある美しい日本の古典文学、詩、童謡から本来日本人が持ち合わせていたであろう日本人としての教養を身に付けましょう、という事が言いたいのではないでしょうか、というのが僕の感想です。

僕もそれなりに日本語の美しさとか、俳句、和歌、落語などの独特のリズムは好きではありますが、幼少期に学校などで漢文や和歌を教わっても本当の意味で理解していた訳ではなかった。

でも、安野光雅先生はそれで良い、と言っています。

意味は分からなくてもよいから読む、というのが大事なんですって、小さい頃は。

記憶の中に留まって、いつの日か分かる時がくる。

俳句や和歌、童謡は大人になってから初めて意味が理解できたり、納得するものが多いそうで、子供の頃は分からなかったけど今は理解できる、言われてみれば確かに、と思う節が多々あります。

この俳句にはこんな意味が込められていたのか、と驚く事もしばしば。

その他にも日本の国語教育の在り方を見直すべきだ、という章が面白かった。

アメリカ的な発想で合理的ではない、非倫理的として排他されてきた日本の国語教育にも意味があるんだ、という説明がなるほどな、と。

この書を読んで日本の古典文学を読み直したい、と思う僕です。

そして愛娘にも童謡や俳句を読ませてあげたいと思いました。

日本人は日本の文化を忘れ過ぎてるのかもしれませんね。

今日も一日お疲れ様でした。



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Posted by Fzeraf at 20:44│Comments(0)本棚
 
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