2021年01月08日
十年に思い耽る
四苦八苦して完成させ、初めて手に入れた我が城である Fzeraf を「飽きたから」という理由でリニューアルする決断を下した僕を不思議に思う、疑問に思うお客様が多いようで。
「まだ綺麗なのに」
「勿体無い」
「雰囲気いいのに」
「寂しい」
他にもありがたいお言葉を頂戴致しております。感謝。
ただ、僕は一貫して「飽きた」と答えてる訳ですが。
まぁ、ちょっと言葉が足りないと言うか、乱暴に聞こえるかもしれないね。
と言う訳で少しばかり考察してみようと思います。
十年。
十年前は「兎に角、十年は頑張ろう」という気持ちで Fzeraf を始めました。
「石の上にも十年」を心に刻み、生き抜いて生き残ってやる、と。
十年経った後、その後の二十年、三十年後の人生はその時を迎えてから考えればいい。
男性美容師の寿命の短さは念頭にあったので、おそらく五十歳くらい、引っ張っても五十五歳で引退かな。とは漠然と考えていたけれど。
で、十年が経過して今、Fzeraf の店内を見渡す。
自分が思い描いていた十年後の姿になっているのか?
否。
磨り減った床、くすんだタイル、傷ついた壁。
本棚には日焼けした本、読まれなくなった本が乱雑に陳列され見るからにカオス。
十年間で蓄積された、ありとあらゆる雑多なモノがひしめく棚。
「本でお客様と繋がる」をコンセプトにしていたにも関わらず、それを忘れてしまっている状況。
スタッフを雇って育成もしている未来でしたがご覧の通り一人。
ふと立ち止まってみると、あらゆるところに綻びが見える。
何と言うか、ゆっくりと崩壊へ向かっているような。
おそらく、この崩壊は一人で営業を始めた時からだと思います。
多忙な日々を送る事で、金銭的な余裕は勿論得られるんだけど、それと引き換えに大切なものを失っているように感じました。
そう感じ始めた途端に Fzeraf の店内のあちこちに負のオーラを感じるようになったんですね。
喪失感に気付いたきっかけは、コロナウイルスによる自粛生活でした。
家族で過ごす時間を得て、心にゆとりができ、軽くなったような。
これまで家庭を犠牲にして、収入を第一に考えて仕事をしていたんだと再認識。
「石の上にも十年」という心構えが、どこかの時点でねじ曲がり、あらぬ方向へ進んでいたのではないだろうか?
それから今まで見て見ぬ振りをしていたものが目の前に現れた。
惰性で生きていた、という事実。
なんくるないさ〜精神に犯され過ぎて自分の手で漕ぐのを忘れ混沌とした時代の中を目的地を見失って漂流しているような。
これは早急に対応しないと近い将来に痛い目にあうぞ、と悟った瞬間から Fzeraf の改装に着手しようと思いました。
今目の前にある現実は自分で招いた結果です。
責任の所在は明確で、僕自身にある。
それなら、責任を取って自ら解決に乗り出さなければなりません。
まずは今の結果である負に満ちたお店を再構築しよう。
意識の変化だけでは大局は乗り切れない、物理的な変化がなければ。
まずは形から入る男ですから、そりゃ考え抜くまでもなく「改装だな」という答えが導き出された。
以上が、「飽きた」という答えのの裏側の意味ですね。
遠回りしなきゃ本質に辿り着けない男なんですよ。面倒な事に。ごめんなさいね。
さて、久し振りに長文を綴ってみました。何年振りだろうか?自分自身の事を見つめ直したのは。
こんな大切な事も忘れたふりしていたんだな。
「まだ綺麗なのに」
「勿体無い」
「雰囲気いいのに」
「寂しい」
他にもありがたいお言葉を頂戴致しております。感謝。
ただ、僕は一貫して「飽きた」と答えてる訳ですが。
まぁ、ちょっと言葉が足りないと言うか、乱暴に聞こえるかもしれないね。
と言う訳で少しばかり考察してみようと思います。
十年。
十年前は「兎に角、十年は頑張ろう」という気持ちで Fzeraf を始めました。
「石の上にも十年」を心に刻み、生き抜いて生き残ってやる、と。
十年経った後、その後の二十年、三十年後の人生はその時を迎えてから考えればいい。
男性美容師の寿命の短さは念頭にあったので、おそらく五十歳くらい、引っ張っても五十五歳で引退かな。とは漠然と考えていたけれど。
で、十年が経過して今、Fzeraf の店内を見渡す。
自分が思い描いていた十年後の姿になっているのか?
否。
磨り減った床、くすんだタイル、傷ついた壁。
本棚には日焼けした本、読まれなくなった本が乱雑に陳列され見るからにカオス。
十年間で蓄積された、ありとあらゆる雑多なモノがひしめく棚。
「本でお客様と繋がる」をコンセプトにしていたにも関わらず、それを忘れてしまっている状況。
スタッフを雇って育成もしている未来でしたがご覧の通り一人。
ふと立ち止まってみると、あらゆるところに綻びが見える。
何と言うか、ゆっくりと崩壊へ向かっているような。
おそらく、この崩壊は一人で営業を始めた時からだと思います。
多忙な日々を送る事で、金銭的な余裕は勿論得られるんだけど、それと引き換えに大切なものを失っているように感じました。
そう感じ始めた途端に Fzeraf の店内のあちこちに負のオーラを感じるようになったんですね。
喪失感に気付いたきっかけは、コロナウイルスによる自粛生活でした。
家族で過ごす時間を得て、心にゆとりができ、軽くなったような。
これまで家庭を犠牲にして、収入を第一に考えて仕事をしていたんだと再認識。
「石の上にも十年」という心構えが、どこかの時点でねじ曲がり、あらぬ方向へ進んでいたのではないだろうか?
それから今まで見て見ぬ振りをしていたものが目の前に現れた。
惰性で生きていた、という事実。
なんくるないさ〜精神に犯され過ぎて自分の手で漕ぐのを忘れ混沌とした時代の中を目的地を見失って漂流しているような。
これは早急に対応しないと近い将来に痛い目にあうぞ、と悟った瞬間から Fzeraf の改装に着手しようと思いました。
今目の前にある現実は自分で招いた結果です。
責任の所在は明確で、僕自身にある。
それなら、責任を取って自ら解決に乗り出さなければなりません。
まずは今の結果である負に満ちたお店を再構築しよう。
意識の変化だけでは大局は乗り切れない、物理的な変化がなければ。
まずは形から入る男ですから、そりゃ考え抜くまでもなく「改装だな」という答えが導き出された。
以上が、「飽きた」という答えのの裏側の意味ですね。
遠回りしなきゃ本質に辿り着けない男なんですよ。面倒な事に。ごめんなさいね。
さて、久し振りに長文を綴ってみました。何年振りだろうか?自分自身の事を見つめ直したのは。
こんな大切な事も忘れたふりしていたんだな。
Posted by Fzeraf at 21:56│Comments(0)
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